神戸伝説の地巡り 「布引の滝」名前の由来に関する伝説

温故

布引の滝について

日本三大名瀑の一つとも言われる滝で、神戸の中心地からすぐ訪れることができ、一番大きい雄滝をはじめ、夫婦滝、鼓滝、雌滝の総称で、色々な顔の滝を望める恵まれた滝です。

『伊勢物語』や『栄花物語』といった平安時代(794年~)の書物に登場するほど古くから親しまれている、神戸の中でもすごーく誇れるスポットです。

↑奥の大きいのが「雄滝」で、二筋に分かれる手前のが「夫婦滝」のはじまり部分

新神戸駅からスタートするハイキングコースを上がっていくパターンと、布引ハーブ園から下っていくコースで訪れる方が多いと思います。
コースは比較的歩きやすく、軽装の人々と頻繁にすれ違うくらいなので安心して訪れられます。

私はハーブ園の年パス所持者ということもあり、今回はハーブ園から下るコースを採りました。
滝以外にもたくさん見どころスポットがあって、飽きさせないオススメコースですよ。

名前の由来に関する伝説

名前についての考察

Twitterでも↓の投稿をしていたので、由来についてご紹介します。

実は、同じ名前の滝は他にもいくつかあります。
しかし布引の滝といえば、神戸にある布引の滝ですね。

字の通り、「布を引いた」ふうに見えたことが関わっているのだと思われます。
確かに、カメラのシャッタースピードを遅くしていたら、垂れる白布の様に見えるかもしれませんね!なっとく!

いや納得しない。
水が流れていたら、どんな滝でも白布を引いた様に見えますもんね。
ということで、この伝説にたどり着くわけです。

布引の滝と竜宮伝説

布引の滝の滝つぼには、あの「竜宮城」への入口があるという都市伝説?があります。
へ!?と突然な感じがありますが、あの浦島太郎で聞いたことがある竜宮城です。
ただ、布引の滝にある竜宮城=浦島太郎の竜宮城というわけでは無いと思われます。
中国などから入ってきた伝説がベースで、「竜王が住む」とか「乙姫が住む」といった特徴から結び付けられたものと思われるので、各地にある竜宮伝説の一つでしかないでしょう。

その、「竜王」とか「乙姫」というイメージの出どころが、今回ご紹介する伝説です。

滝のそばに、幼い娘と爺が住んでいた。
爺は娘に「この滝に打たれて修行をつめば、自在の力が身につくのじゃ」と娘に伝えたところ、翌日から娘は滝行をはじめた。
激しく打たれ疲労困憊の日々だったが、やがて水の痛さは感じなくなり、息苦しさは無くなり、自由に泳げるようになり、ついには空中を自在に飛行できるようになった。
娘は姿をも変え、竜神として各地を飛び、悪魔を滅ぼし、ときには弁財天となり各地の人々を助けるようになった。
人々は娘を大竜王とか弁財天とか呼び信仰するようになり、各地に祠が建てられた。
そうして長い年月が経ったが、爺との暮らしを懐かしむ娘は、しばしば美しい乙女の姿に戻って例の滝に佇んだ。
それを見た人々は、娘を乙姫さまと呼んだ。
そして、「この滝は、乙姫さまが大岩にひっかけていた白い着物のようだ」と思ったそうな。

ということで、布引の滝と呼ばれるようになったそうです。
乙姫が居たのだから、きっと竜宮城もあるのでしょう。
そして入り方は、もしかしたら浦島太郎が参考になるのかもしれません…。

おまけ(白々龍神)

道中、すごい雰囲気を持つ「白々龍神」の祠がありました。
ググると、知る人ぞ知るパワースポットだそうですが、サッパリ所以がわかりません。
少し気になります。

下っていると、脇道に続く階段に遭遇します。そこを進むと…

こんな祠が。雰囲気がすごくてちょっと畏れがあるのと、虫がすごいのとで、あんまりパシャパシャする気分になりませんでした。
でも、左上の看板は目が離せませんでしたね…。

なんじゃこりゃー。
さっそく「あやにえやし」からワカラン。
ググるとイザナギイザナミの国生み神話でも謎ワードとして出てくる「あなにやし」ばかりがヒットしちゃいました。
確かに、というか私も最初に浮かびました。

ところどころひらがなだったり、モハラとか謎ワードがあったり、誰がいつ何のために作ったのだろう…。
「布引の滝の神」とあるし、例の乙姫との関連もありそうですね。

どなたか詳しく書かれた文献があれば、教えてください。
知る人ぞ知る の知る人になりたいです。

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