神戸伝説の地巡り 「鬼塚古墳」その名前にまつわる伝説

温故

鬼塚古墳について

「鬼塚古墳」は、阪急王子公園駅からすぐの水道筋商店街をずーっと行き、都賀川手前のあたりにある古墳です。

道中が楽しいだろうということで阪急と書きましたが、最寄り駅としてはJR摩耶駅からも阪神大石駅からも大差ないと思うので、お好みの訪れ方をされると良いと思います。
どのルートをとっても割と10分そこそこ歩くことになります(遠)。

墳丘は既になく、横穴式石室のみが残っており、「照光寺」というお寺の境内地にて大切に保管されています。

石室の大きさは、おおよそ幅1.6m × 長さ4m以上 × 高さ2m以上と、近くで見るとなかなかの迫力を持っています。

天井石がないため秘境感はちょっと薄いですが、古墳時代に造られた石室に入ることができちゃいます。

今は失われた墳丘の規模としては、石室のサイズから見て、少なくとも10m以上の直径があったのではないかといわれているそうです。
7世紀初頭というと古墳時代としても末期で、この時期としては大き目な部類なのだそうです。
(巨大古墳は中期に造られたものが多い)

また、鬼塚古墳からは人骨も出土したといわれており、その時の人骨が骨壺に入れられ、今でも祀ってあるのだとか。
阪神大震災により石室が崩れ、人骨も散らばっていたという記述を見たので、たぶん、石室奥の祠の中にあるのかな?

「鬼塚古墳」という名前のいわれ

『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』という1796年頃に刊行された観光ガイドに、「鬼塚」に関する記述があります。

鬼塚 篠原村にあり。むかしここに鬼棲みし所なりとぞ。

まさに鬼塚古墳の住所は篠原南町なので、関連する記述であることは確かだと思います。
古墳について触れられているのか、「鬼塚という地」についての記述なのかは定かじゃないですが、塚がそもそもお墓の意味を持っているので、まあ大ハズしはしていないでしょう。

と、そんな真面目な考察はどうでもよくって、鬼が棲んでたんですって!!
なのに紹介文あっさりすぎませんか??
これは隠されてるな って直感しちゃいましたね。

鬼は棲んでいたのか?

と思って調べてみるも、まー私の調査力では何も出てこないこない。
この『鬼滅の刃』の大流行のなか、誰かまとめたりしてないのーっ。

そのうち図書館でも訪れようかしら。
現地で聞き込みレベルか?

でもちょっとだけ気になるもの見つけました。

同じく摂津名所図会の記述を眺めていたところ、処女塚古墳で扱った菟原処女の伝説にも「鬼塚」というワードが出てくるじゃあありませんか。

この伝説に登場する「血沼壮士」の別名として、「土人鬼塚」という記述があります。
血沼壮士は、東求女塚古墳の方ですね。

ということで、

血沼壮士は、菟原処女に近付くべく和泉から出てきて、篠原の地に仮の棲み処を持った。
そして彼女を取り合って菟原壮士と争う姿が「鬼」と評され、「鬼棲みし所なりとぞ。」と広がった。
実は血沼壮士は東求女塚古墳には鎮められておらず、鬼塚古墳に鎮められた。

というテキトーな説をぶち上げておきます。
なお菟原処女の伝説に出てくる三古墳はいずれも3,4世紀と推定されており、鬼塚古墳は7世紀と大きくずれています。

と、オチがついたところで、鬼塚古墳で撮った写真を紹介させていただきます。

鬼塚古墳の写真






ここに、鬼と評された血沼壮士の骨が…!?


おまけ:摂津名所図会

摂津名所図会はオンラインで閲覧しました。
ここで読めますので、気になった方は是非。

国立国会図書館デジタルコレクション

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