神戸伝説の地巡り 「五色塚古墳」築造に関する伝説

温故

五色塚古墳について

神戸市垂水区にある古墳で、兵庫県で見つかっている古墳の中で最大と言われる古墳です。
古墳時代で言うとやはり一番デカい中期と言われている様ですが、前期とする説もあるそうです。

前期でこのサイズとなると、相当な権力者なのかもしれませんね…。

特徴として、「上がれる古墳」です。
古墳の上から、明石海峡大橋を望むことができます。

謎が多い古墳で、名前の由来や築造の背景、そもそも墳墓なのか?などわかってないことだらけです。

写真からもわかる通りかなり整備された古墳で、実は日本で初めて国の補助金を得て復元された古墳だそうです。

築造に関する伝説

五色塚古墳築造の背景には、仲哀天皇(ヤマトタケルの子)の死が関わっていたという伝説があります。

熊襲征伐の半ばに崩御した仲哀天皇の意志を継いだ神功皇后は征伐を達成し、その後は出兵し三韓征伐を達成します。

この時、実は神功皇后は仲哀天皇との子を孕んでおり、朝鮮出兵からの帰りに九州にてこの子を出産しました。

この誕生を歓迎しなかったのが、異母兄である麛坂・忍熊の二人の皇子。
神功皇后らが無事に難波にもどれば、次の天皇はこの子になってしまうと考え、一行を待ち伏せ襲撃することを企てます。

大っぴらに挙兵すると計画がバレてしまうと案じて実施したのが、五色塚古墳の築造だという伝説があります。
つまり、神功皇后にバレないよう密かに多くの人員を集めるべく「亡くなった仲哀天皇の塚を築く」と呼びかけたのです。

古墳に詳しい方はピンと来たでしょう。
仲哀天皇陵は大阪にあります。
ということで、五色塚古墳は仲哀天皇の「偽陵」とされています。
ニセモノが日本で最初に復元…?何か勘ぐってしまいますね。

古墳には石室といって、埋葬室が造られます。
しかし五色塚古墳の石室は、存在するかどうかも確かじゃないということです……。
そして、すぐ傍に作られた古墳たち築造の謎…。

と、築造の背景を知った上でまいりましょう!

五色塚古墳を訪れる

駅チカで訪れやすく、山陽電鉄の霞ヶ丘駅から線路沿いに東へ歩くパターン。
そして垂水(山陽、JR)駅からは赤い道を辿ると着けます。

今回は垂水駅からのレッドカーペットコースを選びました。
五色塚古墳は、小学校の遠足以来ですね…。でもその時は、霞ヶ丘駅からだった記憶。
神戸出身の方は、遠足で訪れたことがある方がけっこう多いのでは?

ずんずん進むと、「後円」側がお目見え。
標識の通り、「前方」側に回り込みましょう。

すぐ隣に「小壺古墳」もあって、かわいい緑の小山に整備されてます。
どうやら小壺古墳以外にも、かつては周囲にいくつかの古墳があったという文献があるそうです。

ぐるっとまわり、入口へ。
隠し機能がありそうなカッコイイオブジェと、説明看板。

エントランスには出土品が飾られています。

無料で入れますが、コロナ対応につき、エントランスのおっちゃんに声をかけて案内を受ける必要があります。

ここで『神戸の古墳』などの市作成の書籍も買えます。
1冊200円でした。やすっ!

エントリーを済ませ、いざ古墳に上がります。
奥の後円部、階段を上る方が見えるでしょうか。
スケール感がわかっていただけるかと思います。

前方部は約70mと、結構歩きごたえのある長さです。
意味ありげなナニカが映ってますが、これ何でしょう?
どなたか教えてください。

縁に沿って沢山の埴輪が並べられていますが、これが別名「千壺古墳」と呼ばれる所以です。
伝承では、仲哀天皇が垂水に来られた際、ここに多くの壺を埋めて千種類の花を植えたという話もあるそうです。
築造の伝説とは乖離がありますが、この壺全てに様々な花が植えられている光景…ぜひ見てみたいものです。

後円部から海側を眺めると、明石海峡大橋が望めます。

『神戸の古墳』に、

現代の技術の粋を集めた夢の架け橋(明石海峡大橋)と、
古代の技術の粋を集めた巨大前方後円墳を一目で見ることができるようにと、
発掘調査結果をもとに、復元整備されました。

とありましたが、グッとくるものがありますね。アツい。
この景色をつくってくれたこと、感謝します。
ありがとうございます!

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