神戸伝説の地巡り 「保久良神社」神社の起こりに関する伝説と「灘の一ツ火」

温故

保久良神社について

あけましておめでとうございます!
年越し早々、本記事に向かっています!
本当は昨年内に上げたかったところ、年末特番に気を取られすぎちゃいました。。
ということで新年一発目も、地元愛に満ち溢れたネタいきましょー
そして今年も地元愛マックスで参りましょー!

神戸は東灘区、JR「摂津本山駅」や阪急「岡本」駅からけっこう坂を上がったところ(30分くらい歩くかな?)にあるのが保久良神社です。
”ホクラ”神社と読みます。
金鳥山の中腹にあり、低山とはいえ結構急だし距離があるので、ご高齢の方は要覚悟。

この神社や金鳥山は「カタカムナ文献」の文脈でよく語られます。
都市伝説好きな私なので、カタカムナありきで訪れたことは否めず、「八鏡化美津文字みつからへんかな~」って思いながら歩いてました。

と脱線しかけてますが、そちらについては別記事で取り扱うとして、こちらでは神社について!

行き方

ちょっと歩くので、道のりをご案内します。JR摂津本山駅からの道のりです。

駅を北側に出て山手幹線を越えた先に、石畳のおしゃれ通り(名前知らない)がありますよね。
まずは、楽しいあの道を東にズンズン進みます。(王将が目印?)

さらにズンズン進むとお店もまばらになってきます。
甲南女子さんのバス乗り場なんかも越えて、ズンズンズンズン。

この看板がある交差点についたら、ストップ!
学童に注意しながら、今度は北上していきます。

下り優先の踏切りなんかも乗り越えつつ…

「保久良神社参道」の文字がようやく…!
でも実は、まだまだ急勾配が続きます。
がんばってついてきて!大丈夫!

もし辛くなってきたなら、心優しき方が置いて行ってくれた杖を使ってもいいんです!

このあたりまで来たら、ラストスパート!
つづら折りがうねうね~っと続きます。

イノシシと出会いやすいので、気を付けて!
ビニール袋とかをガサガサ持って歩くと、危険らしいです。

実は保久良神社周辺は、古代の巨石信仰の名残が色濃く残っています。
つづら折りの途中には、「珍生岩」があります。
(この岩は、奥の方にあるので見落としやすい)

最後の曲がり角!この先には、絶景&伝説の地が待っていますよ!

バァーン!(地味)
これが今回ご紹介する伝説の一つ、「灘の一ツ火」です。
どれ?ってなってるかもしれませんが、灯篭がそれです。夜になったら灯がともります。

灘の一ツ火

すぐ前の石碑には、以下のように書いてあります。

この石灯篭は、文政八年(一八二五年)のものですが、
往古は”かがり火”を燃やし、中世の昔より”油”で千古不滅の御新火と点しつづけ、
最初の灯台として「灘の一ツ火」と海上の船人の目じるしにされました。
古くから、ふもとの北畑村の天王講の人々が、海上平安を願う「祖神」の遺志を継承し、
交替で点灯を守りつづけてきたものです。

1825年(江戸時代)というのも十分古いと思うですが、「往古は」とある通り、もっと古い歴史を持っています。
「最初の灯台」というのが気になりますが、調べたところ日本最古という意味合いではなさそう?
「最初期」というニュアンスでしょうか。

また社伝には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のころにはじまったと言われており、以下の伝説が残っています。

九州の熊襲討伐を終えて大和に帰る途中、日が暮れて真っ暗になってしまい、一行は方向を見失ってしまいました。
困った一行は一心に神に祈ったところ、かなたに一つの火が見えた。
彼らはその火を目指して漕ぎ進み、無事陸に着き、難波へ帰ることができたという。

このことがあり、以降は毎夜「北畑村の天王講」によって灯が点され続けてきた。
それが、「灘の一ツ火」なのです!
この通りとすると、1700年弱の間にわたり続くということです。
そう聞くと、見え方が変わってくるでしょう?

ま、今はLED自動点灯なんですけどねー!

保久良神社の起こりに関する伝説

そんな「灘の一ツ火」から振り返ると、そこが保久良神社です。(鳥居、撮り忘れた…)
こちらの御祭神は、椎根津彦命です。(そして時計の場所よ…)
保久良神社の起こりには、この神の事績が関わっています。

元は珍彦(ウヅヒコ)という名の国つ神で、神武天皇が東征することを聞きつけ、
青亀に乗り、速水の門(明石海峡…諸説あり)にて釣りをしながら待ち受けた。
そして神武天皇が通りかかった時、「皇船の先導者とならん」つまり水先案内人をすると名乗り出た。
そののち、瀬戸内海の水先案内の功で「椎根津彦」の名を与えられ、神として祀られるように
なったのが、保久良神社の起こりである。

また、この神様は青亀に乗って移動したが、摂津国菟原郡の統治のため見晴らしの良い場を求め、
最適な場所として「ほくら山」を定め、青亀を海岸に着けたが、この地が「青亀」となり、
そして今の「青木(おうぎ)」と書かれるようになったと伝えられているそうです。

実際、ここからの眺めはスバラシーです!
(習わしを残す姿勢には共感してます)

さ、帰ろうと歩き出したその時

振り返ってもえぇ眺めやなー
そういや東灘やけど例のアイツ居らんかったなー
なんて思いつつ帰路につきましたが、別の出会いがありました。

例のつづら折りを下っている途中…

<ぶーぶー

出会ってしまいました…。
でもホント、他の参拝客は慣れっこなのか、一瞥して何事もなかった様にスタスタと横を抜けていきます。
私は心臓バクバクさせながら、ビニール袋がガサガサ鳴らない様に競歩で抜けました。

実はこの後も二頭出会ってますが、同じように気にせず歩き、何とか乗り切れました。
暗くなってきた頃は要注意です。
そう、ちょうど灘の一ツ火が点く頃は…。

その他見どころたくさんの保久良神社

さて、本記事はこれでおしまいとしますが、保久良神社にはほかにも見どころたくさんです。

  • 神社周辺に意味ありげに並べられた、磐座の数々
  • 保久良神社裏手の梅林
  • 金鳥山とカタカムナ
  • 金2テラス(えっ知らないって?)

次回はこのあたりのお話もご紹介できたらと思ってますんで、本年もよろしくお願いします~。

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