カタカムナの聖地「金鳥山」を上ってみたら、ええとこ見つけた話

知新

カタカムナの聖地「金鳥山」

金鳥山は、保久良神社の裏から入れます。
保久良神社への行き方は、コチラの記事で触れていますので、参考にしてください。

突然出てきた「カタカムナ」ってなんじゃそれと戸惑っている方も居るかもしれませんが、スピリチュアル・オカルト界隈で知られているものなので、知らなくても無理はありません。
一般的な伝わり方を説明するので、本記事で知っていただけたらと。

カタカムナ文献とは

そもそもカタカムナって何?という方向けに、概要をお伝えします。

時代は昭和二四年(1949年)のこと。
「大地電気」の研究を行っていた物理学者、楢崎皐月(ならさきこうげつ)は、数名の助手とともに
金鳥山中の狐塚と呼ばれる塚の近くに穴を掘り、データ収集を行っていた。
ある日、猟銃をもった猟師が一行を訪ね、険しい顔で言った。
「お前たちの妙な装置のせいで、森の動物たちが困っている。すぐに撤去せよ。」
これを受け、一行はすぐに撤去した。
すると次の日にも猟師は現れ、一行の対応に関心し、お礼にと古い巻物を見せた。
そこには、丸と十字を基本とした見たこともない図表が、渦巻き状にいくつも並べられていた。
猟師は「平十字(ひらとうじ)」と名乗り、父はカタカムナ神社の宮司であると告げた。
そして先の巻物は「カタカムナの神の御神体」で、「開けたら目が潰れる」と秘匿されてきたものだという。
これを見た楢崎は、「八鏡化美津文字」を連想した。

話は戦時中に遡る。
楢崎は旧満州の吉林にて、製鉄の研究に携わっていた。
ある日彼は、満人職工たちの信仰に敬意を表し、吉林の北山にある道院「娘々廟」に訪れた。
そこで道士「蘆有三(らうさん)」と出会い、一服のお茶をすすめられ、次の話を聞いた。
「上古代の日本の地に、「アシヤ族」という今度な文明をもつ種族が存在した。
アシヤ族は「八鏡の文字」を創り、特殊な製鉄技術をはじめ、様々な先進技術を持っていた。
そして後代の中国における哲学、医学などはその文化の影響を受けたものである。」

このかつての記憶と、巻物に書かれている図表が、「八鏡の文字」なのではないかと楢崎は考える。
彼はこの図表を書き写すことを平十字に請い、許可を得た。
それから二十夜をかけ、楢崎は八十個の渦巻きをすべて写し終えた。
この出来事以降、楢崎はこのカタカムナ文献(カタカムナノウタヒ)の解読に取り組む。
そしてこの文献は、超古代の日本において高度な文明を築いた人類が居り、自分たちの宇宙観あるいは
サトリ(哲理)をウタという形で残した"科学書である"と結論づけ、日本語や日本文化の源流が
この文明にあるということを世に発表した。
しかしこのカタカムナ文献は"偽書"とされ、現在では古史古伝として広く知られている。

こんなところです。
個人的な興味からいくつか解説を目にしたことがありますが、カタカムナ的解釈から、日本語における四十八音の一音一音に深い意味が込められているとされており、古くから
「ヒーフーミーヨーイームーナーヤーコートー(一二三四五六七八九十)」
という数え方があるのは多くの方がご存知かと思いますが、これはただの数え歌ではありません。
意味を持った文章、祝詞であるのだそうです。

ひ には○○な意味があり
ふ には△△な意味があり

それぞれつなげると、××という解釈になります。
といったような解説がネット上に公開されていますので、気になった方はご覧になってみてください。

「カタカムナ」界隈は非常に奥が深く、音や文字だけでなく、ウタの持つスピリチュアルな力や、中に書かれているオカルトサイエンス的な論考から、日本中の多くの人を魅了し続けています。
そんなオカルトムーブメントの一つの中心地が六甲山にあったこと、ご存知でしたでしょうか?

「金2テラス」との邂逅

そんなロマンあふれるカタカムナの残滓を求めながら歩く金鳥山は、ただの散歩とは気分が全然ちゃいますね!
写真はありませんが、保久良梅林もそばにあります。梅の季節に再訪したいです。

ズンズン進むと、案内図があります。金鳥山方面に上へ上へと進むこととなります。
ここから先は、ザ・登山道という感じで、急勾配な階段がひたすら続きます。
段差も大きく、無事保久良神社までたどり着けたあなたでも、一度体調と相談することをお勧めします。

意外と若い私ですが、スタスタと上がりながらも息は切れ切れで、左腕のフィットネストラッカーはランニングレベルの高負荷運動と認識していました。
体力に自信がなく、登山経験も浅い方には、お勧めしません。
自信があっても、けっこう長いので調子には乗りすぎない様じっくり上がりましょう。

しばらく上がると、階段が終わり、なだらかな道に変わります。
このあたりから、めちゃくちゃ楽しい道になります。
何もないっちゃ何もないのですが、よく見るとそこら中に脇道があって、好奇心旺盛な私はウッキウキです。

写真の三叉路は、ちょうど岩の頭が突き出ていて、意味ありげですよね!
曲がった先は獣道みたいになってますが、気にせず進んじゃいました。

獣道途中の曲がり角には、これまた意味ありげな標識!
期待に胸が高まります!

おそらく終点。こんなところにたどり着きました!
後々調べてみたところ、スピリチュアル界隈では有名なゼロ地場地点が金鳥山にはあるそうで、このスペースも不思議な雰囲気を放っていました。
このあたりは巨石信仰が根強く(後述)、ここももしかしたら古くは祭祀場だったのかもしれませんね。

ところで、奥にめちゃくちゃ雰囲気のある、アーチっていうんですかね?トンネル?なんて呼ぼうか。
入りたくって仕方ない感じになっているんですよ!

もちろん入りましたよ?
でも何もないですよ。ほんと、何も……ね。

ここの他にも、ほんといくつも脇道があって、見晴らしの良い休憩地点が主でした。

こちらは、結構広めの休憩所。
四方にいくつかベンチがあり、広場になっています。
眺望もさることながら、風が抜けて気持ちいい!

そしてこちら!
金2テラスという名前がつけられています。
というのも、標識がいくつも設けられていて、そこに書いてありました。

「金(鳥山)2(丁目)テラス」ということみたいです。

どこの休憩所よりも視界が開けていて、めちゃくちゃ気持ちの良いスポットです!
ここを見つけた時に思いました。
「カタカムナの残滓は見つからなかったけれど…あぁ、私はここを見つけに来たのか。」
コーヒー持って、のんびり読書でもしたいなぁ。たどり着くまでにめっちゃ時間かかるけど。

どうやらコチラのテラス、有志の方によって造成・整備されている様です。
これまた標識から、とある特許商標事務所の方が関与していることはわかりました。
まじリスペクトっす。なんと愛が深い。なんなら手伝いたい。

また来ます!

保久良神社にある磐座たち

ついでじゃないですけど、せっかく素材があるので、おまけ的に保久良神社の磐座群について軽く触れましょう。

保久良神社の境内付近には、大きな岩がたくさんあります。
神社の周りをぐるりと円形状に大きな岩群が配置されていて、祭祀場として使われていたと考えられています。
磐座は神の降り立つ場所とされているので、太古の人々が神をお招きし、様々な祈願をしたのでしょう。
またそういった場所であったことを証明するように、壺や甕といった土器や、鏃や斧といった石器も多く出土しています。
そしてそれらは弥生式中期のもので、紀元前二百年前頃には既に祭祀場であったことを示しているそうです。

こちらは立岩(たていわ)。
境内にあり、それほど大きくないですが、上部が平らなのが、意味深げですね…。

こちらは神生岩(かみなりいわ)。
社務所裏にあり、めちゃくちゃ大きいです。
金網があるため近づけず、写真だとサイズがわかりにくいですが、ミニバンくらいあったと思います。
そもそも何故、金網があるのだろうか…。

ゴロゴロと並べられた岩たち。

ド根性なやつと、バラエティ豊かな岩と出会えます。

番外編として、境内周辺の木には、めちゃくちゃ彫りこみがあります。
一本だけじゃなく、そこかしこの木が彫りこみまみれになっていて、異様な雰囲気を醸し出しています。
場所が場所だけに、「八鏡化美津文字」の掘り込みないかなーって探してしまいますね!(写真にもあるかも!?)
もちろん、そこらの大岩にも掘られている可能性は十分に有るんじゃないでしょうか!
気が抜けませんね~。

おわりに

ということで、今回の散歩は終了。

金2テラスで小一時間のんびりしてたら日が落ちてきてしまったため、足取り早く戻り、点灯した「灘の一ツ火」をパシャパシャしてたら、イノシシに出会ってしまった…。
というのが、今回の散歩の裏事情でした。

次来る時はゼロ地場とやらも目指してみようかな。
梅も見たいな!

カタカムナへの興味がより一層深まったので、帰りの道すがら、『謎のカタカムナ文明 ~秘教化学の最終黙示(徳間書店)』をAmazonでぽちり。
もっとカタカムナ勉強して、またきまーす!

コメント

  1. 岸田徹 より:

    3日に保久良神社に行ってきました。
    何、あの心臓破りのつづら折り登山道

    全く予備知識なくカタカムナの神社としか知らず
    向かったのですが何回休憩しながら登り終えたものか

    かえってまぐろさんのブログ見つけ読めば保久良の裏山が
    本命のカタカムナの聖地だと知って、また行かんといかんな

    でもおっくうやなと考えてこのコメントを書いています。
    天気も良く、一つ灯からの眺めはよく上った甲斐があったと
    思いました。梅林までは行ったのですが・・・

    • まぐろ まぐろ より:

      閲覧・コメントをくださり、ありがとうございます!

      初詣でしょうか?プチ登山お疲れさまでした。
      元旦の保久良神社は、初日の出を見に来る方も多く駆けつけているそうですね。

      あのつづら折り、めっちゃ大変ですよね。
      しかし裏山はさらに運動強度が上がりますよー!
      私もすぐの再訪はおっくうなので、梅林が賑やかな時季とか、何かと理由が必要になりそうやなと…。

      件の「カタカムナ神社」については、イコール保久良神社とは言えない状況があるので、
      本気で「大地電気」を研究するつもりで入山すれば、真の聖地が見つかるかもしれないなと考えています。
      通称「狐塚」とよばれる塚の近くに穴居をつくり、研究していたそうです。
      真似できる気がしいひん…。

      狐塚については通称ということなので、古くから周辺地域に住む方
      (例えば「灘の一ツ火」を守ってきた「北畑村の天王講」関係者とか…)
      が知ってるかもしれへんなと、勝手ながら見立てているところです。

      謎多く、楽しいテーマです。

      • 岸田徹 より:

        梅林を過ぎるとまだよりハードってびっくりですね
        カタカムナ神社が保久良神社と違うのはわかる気がします

        時代が違うものね!アシア族はそんなに高度な物理学にたけているということに
        なるとやはり宇宙から来た人たちなのでしょうか?

        古代人が霊的なコンタクトを取るのが常だったので宇宙意識からの叡智をひらめきで
        感じていたのでしょうか

        カタカムナ神社と言ってもその祠や洞窟と儀式の列柱があるくらいのイメージですが
        カタカムナ神社の境内にある環状列石はカタカムナ神社とどう結びついて
        来るのでしょうね北畑村に伝わる話があれば面白いですね

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