神戸伝説の地巡り 「弓弦羽神社」社名に関する伝説

温故

弓弦羽神社について

神戸は東灘区、阪急電鉄「御影」駅から歩いて10分ほどのところにある神社で、"ゆづるは"神社と読みます。

その名前から、フィギュアスケートの羽生結弦選手を応援する方の聖地にもなっていることが、一時期話題になってました。
ご本人も参拝されたのだとか。

知らない方だと、ここ!?って思ってしまいそうですが、この先に大きいのがあるのでお間違いのないよう。
ご覧の通り、弓の字が特殊です。
旧字とかそういう話ではなく、何かしら意味をもたせてるのだと思われます。
より弓と「矢」を意識しているのだと推測します。
この後ご紹介する伝説とも通ずるものがあるので、納得がいきます。

祭神は熊野大神(イザナギノミコト、コトサカノオノミコト、ハヤタマノオノミコト)。
しかし境内に入ると、そこかしこに八咫烏が見られ、八咫烏が主祭神かと思ってしまう勢いです。

八咫烏といえば「神武東征」を道案内した導きの神で、そのイメージから勝利を祈願する参拝客が多数訪れます。

また日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏でもあり、また御影が日本サッカー発祥の地といっても過言ではない(らしい)ということで、サッカーチームやサッカー少年も多数訪れる神社として知られています。

社名の由来に関する伝説

御影の北方の丘陵は、「弓弦羽の嶽」と呼ばれていました。
弓矢の試し打ちに、ちょうど良い丘だったようです。
今で呼ぶ六甲山の、麓のあたりとかだったのでしょう。

三韓征伐の準備として、神功皇后の一行がここで弓を試したとも、神功皇后が祀った神々が弓を試したともいわれています。

さて社名の由来ですが、五色塚古墳の築造に関する伝説でも触れました、神功皇后の帰国にあわせて忍熊王が謀反を起こした事件と関連しています。
忍熊王の挙兵を知った神功皇后は、自ら弓弦羽の嶽に弓矢や甲冑を納め、熊野大神を勧請して戦いの勝利を祈念し、見事勝利したことが始まりだったそうです。

その権現さまの社を「弓弦羽権現宮」と呼ぶようになったことが、現在の社名の由来であると伝えられています。
この故事により、神社背後の秀麗な峰を弓弦羽嶽(弓矢)とも六甲山(甲冑)とも言うと、社伝にあるそうです。

境内マップにも、弓弦羽嶽(六甲山)という記述がありますね。

弓弦羽の嶽は神々しく、源平の時代にも逸話があります。
頼朝から逃げる源義経が、船に乗って西国に逃れようとした際の東明の沖合いで逆風にあい、船を進めることができなくなりました。
このとき、義経の部下である弁慶が「あそこに茂る神々しい岳の神に、順風を送ってくださるように祈ろう」と提案し、祈願したそうです。
室町時代に作られた能『船弁慶』にも似たシチュエーションで、「弓弦羽の嶽」が登場しているそうです。

弓弦羽神社の八咫烏

先にも書いた通り、八咫烏をやたら目にします。一部をご紹介しましょう。

まず、マスコットキャラが八咫烏モチーフの「ゆづ丸」です。
https://yuzuruha-jinja.jp/img/goods/yuzumaru.pdf
※写真を撮り忘れたので、公式リンクで…

手水舎では、八咫烏が清いお水を吐きだしてくれます。
ここもコロナ感染症拡大防止策で、柄杓は出ていません。直接です。
看板には

手水鉢の前までお進み下さい。
センサーがはたらき
自動的に水が出ます

と書かれています。
そこは神力で良くないか…。

社務所の屋根にも居ました。
八咫烏が向かい合って空を見上げています。今にも何か降ってきそうです。

今回撮影したのは以上ですが、ほかにも隠れ八咫烏が潜んでいるかもしれません。
ディズニーランド感覚で、隠れ○○を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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